Koji FUKUSHIMA

人生はステージレース。
ツールを目指したい少年から、人生の大先輩まで。
こ〜ぢとロードバイクで遊ぼう! 
080ー5024ー5400
cozzy@rondo.ocn.ne.jp
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幸也ポジション→還暦優等生へ
  継続は力なり
 ロードバイクが僕は大好きだ!
 現役時代は自分がツールにでることだけを信じていた。
 ボロボロで、弱すぎてエキップアサダの育成チームを2年で首になった。
 だけど、諦めなかった。  
 絶対ツールで独走で勝てる。

 そして、奇跡が起こった。
 雲の上のレースで、決して経験してこなかった独走での優勝出来たのだ。
 その日の運と僕のコンディションがピッタリとはまった。
 
 第一ステージで、30名の逃げを容認し、最後に捕まえたジロで活躍するスプリンターのパナリア・チーム。
 僕は、そのステージで、その日逃げまくり、パンクし、そこからさらに攻めたが、徒労に終わり、レース後は瀕死状態だった。
 しかし、元来の僕の走りのしつこさは、完全にその日も集団に印象づけられた。

 第2ステージは、崇史が逃げてくれたが、集団にいながら、熱射病直前状態だった。
 崇史が捕まった時点で、兄と連続アタック。
 その日も徒労に終わったが、チームの意気込みをアピールした。

 そして、その夜のミーティングで、僕は、自分がボロボロで、明日はアタックせずに、山岳コースを無難に超えたい。
 そう話した。

 すると兄が言った。
 「明日こそ行け」
 浅田さんも同じ意見だった。

 僕は、「はい、分かりました。」そう答えた。

 朝は5時起き、スタート地点までバスで2時間の移動。
 さらにバスが道に間違い、スタート直前に到着した。

 僕は、アジア人の大会関係者に愛されている。
 いつも笑顔でありがとうと言いまくっていたから。

 僕は、大会関係者に相談した。
 この混乱の中、こーぢは山のトイレに置いてきぼりになってしまったか、山岳民族の子供にサインを押し売りしていたか分からない。

 だが、とにかく、スタートに到着した時点で、こーぢはバスにいなかった。
 
 兄はまたどこかの車に乗り換えてくるのだろうと思っていたが、弟は来ない。

 アジアの大会関係者はそうやって、スタート前に、こーぢが迷子になったと集団にアナウンスした。
 
 「ジェスポーツの解説でその日の出走しないメンバーに僕が載っていると解説がある。」

 僕はスタート直前まで、トイレに身を隠し、そのまま最後尾からそっとスタートした。

 集団は、こーぢがいなくなったから今日から、掟破りのファックシマがいないと、喜んでいた。

 パレード走行が終わって、ゼロキロ地点を越えても、スタートしても誰もアタックしない。僕は、バイクカメラマンが行けといった。
 その大名行列の横を時速60キロでアタックした。

 一瞬の出来事だった。

 僕は、一人になれた。
 嬉しかった。

 冷たいボトルの水は、サポートバイクとチームカーから浴び放題だった。 

 終始、カメラがくる度に、どんな顔をして笑わせてやろうかとばかり考えていた。

 リーダーチームのパナリアチームはエーススプリンターのために、登りや下りでアタックする選手についていき、抑えてくれる。
 その日リーダーチームがコントロールを拒否した。
 
 その日、風も穏やかな中、僕は、超級山岳2つを含むコースを170キロでアベレージ39キロで走りきった。
 自分でも信じられない走りだった。

 更に、集団は、どこのチームが先頭を引っ張るかをお見合いをしてくれた。
 そして、夢の独走勝利へのシナリオがそろった。
 
 大会関係者、観客、アジアが、僕の勝利を称えてくれた。

 僕は、夜ベルナール爺さんに電話した。
 こーぢ「勝ったよ。」
 ベルナール「なんだって、どこにいるんだ」
 こーぢ「マレーシア(マレージー)だよ」
 ベルナール「何、病気(マラッド)になったって。」
 こーぢ「違うよ、タイランドの南だよ。」
 ベルナール「何、やっと就職(トラバイユ)できたって。それは良かった。お前も31歳だから、安定が一番だ。」

 僕は、ベルナールとの会話で、全ての不安が吹っ飛んだ。

 「そうだ。このリーダージャージでトコトン楽しんでやろう。」
  翌日の新聞に「KING KOJI」と書かれていた。

 チームメイトのおかげで、僕は、5日間夢のリーダージャージを着せてもらった。

 総合優勝出来ていたら、ツールに出られていたか。
 毎日、考えていた。 

 だけど、、、、たらなんてない。

 だけど、僕は、自分のスタイルを生徒や選手に、当てはめない道を選んだ。

 つまり、膝が伸びきるかどうかの限界のサドル高だ。

 そこで体幹を鍛え上げる。

 僕達兄弟のような、低いサドルの選手は、今アジア人選手にしかいない。

 欧米の選手は、高いサドルが、常識になっている。

 僕は、日本人の低迷の一つに、その低いサドルが蔓延していることもあると思う。
 欧米を経験した活躍する今の日本人選手は、皆、サドルが高い。
 ベルナールの教えはポジションをいじるなだった。
 僕ら兄弟は、忠実に守って、現役時代を過ごした。
 
 幸也がサドルを勝手に上げた。
 50ミリは、上がった。
 
 渡仏してからエキップアサダでプロで勝ったのも、下死点のペダルに踵がべったり付く低いサドル高だった。
 そこでけつを引きまくって、ハンドルとペダルとの距離をとるという、僕らの師匠フランクのポジションだ。

 僕は、明けても暮れても、幸也のどうみても高すぎるポジションで、ジロで逃げ切った動画を見続けた。

 どこで、バイクコントロールをしているのか。
 コーナーで外脚荷重ができなんじゃないか。
 そして、ついに盗んだ。

 全てをコーナーでは内脚の引き上げで、外脚にはオートマチックで力が入っていることに気がついた。

 チームで172.5ミリのクランクしかなかったことも、サドルを上げた一つの理由なのだろうか。

 そして、幸也の才能は一気に開花したんだと思う。

 つまり、低いサドル高ではできなかった体幹ペダリングだ。
 サドルがあがった分、サドルに座る骨盤の位置は、3センチ以上前に来ていると思う。その分、ステムをおそらく90から130程に伸ばしているのではないだろうか。
 だから、ダンシングもコーナリングも、ハンドルが遠くなったせいで、自在になったのではないだろうか。

 登りで、サドルの前に座りながらも、ペースアップで踏み込みつつも、回すペダリング。 
   
 それに対して、僕は典型的な日本人体型の清水都貴選手が、去年の全日本選手権で、登りではタイム差を縮めても、下りで差を広げ続けた情報に納得する。

 なぜなら、都貴も、手の指が短く、ステムが伸ばせないから、相当苦労しているからだ。
 だから、今は分からないが、パリ・コレーズでなだらかな300メートルの登りゴールをステージ優勝したときも、ダンシングのノアン・ルラージュと、その翌年のアルプデュエズを制した選手を、シッティングで置いてきぼりにした。

 何がいいたいか。 
 
 僕のツールは夢で終わった。
 だけど、やれるだけのことはやった。
 歳を10歳ごまかして、自己推薦文も全チームに送った。
 とにかく、ツールに出たかった。

 不正以外のありとあらゆることはやりとげた。

 どうして僕は、ロードバイクがこんなに好きなのだろう。
 それは僕をひとりの人間として、逞しくしてくれたからだ。
 その同じ経験を、生徒みなさんにしてほしい。

 ベルナール爺さんの教えはシンプルだ。
 毎日続けろ。
 小さいことを大切にしろ。
 フランス人以上にフランス語を正確に操れ。
 そして、賢く走れ。
  
 僕は、自分の過去に当てはめることなく、恒に新しい情報を仕入れて、
 プロの経験をいかに一般の生徒に伝えられるかを、
 そして、ロードバイクのスキルを教えることを、一つの職業として成り立たせつつ、
 ロードバイクのスキルあってのマナーの文化を日本に定着させるための一つの歯車でいさせていただきたい。

 生徒、みなさん、ありがとうございます。

 昨日、本田圭佑選手の独占インタビューに共感し、熱くなりました。

 東京オリンピック、日本人選手が金メダルをとる。
 僕は、信じている。
  
| 福島康司/こ〜ぢ | - | 10:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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