Koji FUKUSHIMA

人生はステージレース。
ツールを目指したい少年から、人生の大先輩まで。
こ〜ぢとロードバイクで遊ぼう! 
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ブックルドゥラマイエンヌ【第1話】

夢のように過ぎた現役時代。

今はベルナールグランパ自転車学校で、フランスで培った経験を経験を基に、ロードバイクの楽しみを生徒に伝える。 

そこでの経験はただ一つ。やればできる。

将来の宝である子供たちに、ロードバイクを伝えたい。

今年ツールに出られなかった新城幸也選手は、この後の8月の伝統のステージレースツールドリムザンで、きっと大活躍してくれる。

そんな希望をいだきながら、兄ちゃんと幸也が勝たせてくれたレースの思い出を振り返りたい。

 
  【ロードレーサーの資質】
 エンジンである強靭な肉体から生み出されるパワー。その力ををサドルごと後輪を大地に押さえつけ伝える効率的なペダリングスキル。苦しみを快感に感じ、孤独に打ち勝つ精神力。憧れを抱き続ける想像力だ。
 大胆かつ繊細に制御された力を、肉体への限界の苦しみの中、精神的に余裕を持って絞り出し続けられるか。年間トレーニング実践を通じ、計画的にオフにはスタミナを鍛え、レースシーズンでスピードを高める。高い時限でスピードとスタミナを調和する能力が成績を決める。

 だが僕の競技人生を振り返ると、失敗の連続だった。自身の事はわかっているようでわからないもの。今こそ反省を糧に、今ベルナールグランパ自転車学校の指導に生かしたい。

【質と量を高める原則無視のしっぺ返し】
 高い砂の山を作るためには、広い器が必要である。まずはオフの間、中程度の有酸素運動域に設定し、無理ない走り込みで体力のボリューム(器)をつける。次第に量(距離)を減らし、質(強度)を上げていく。オフの終盤、仕上げの時期に高強度のトレーニングでレースに対応できるスピードを養うのだ。
 従ってシーズンの成績は、オフトレで決まるといわれる。オフといっても、ただのんびり長い距離を走り込めばいいのではない。紙の器なら、山が高くなればすぐに割れてしまう。身体と対話し、スタミナをつける。ひとたびシーズンがはじまれば、連戦につぐ連戦の中もがき続けるしかない。どんなに山が高くとも、受け止められる大きく頑強な器を造るのだ。
 
 さて、2005年は自分の最高潮のシーズンとなった。UCIポイントを量産し、アジアランキングに貢献し10月、夢の世界戦の日本人3人枠の切符を初めて手に入れることができた。そこで、兄ちゃん(福島晋一選手)は日本人で初めての世界戦の完走を果たした。それに引き換え、僕は絶不調の真っただ中だった。オーバーワークから、体調を完全に壊した。 
 最初のリタイヤ選手となったのだ。世界戦の屈辱から、世界で誰も取り組んだことのない画期的なトレーニングしようと決意した。兄ちゃんは、今まで通り、適切な運動強度を設定し、計画的に基礎体力をつけるアドバイスをした。しかし僕は今までのやり方を完全に捨てたかった。ツールで勝つには時間がないと焦っていた。僕の身体は特殊で、誰もやったことのないトレーニングで、奇跡の急成長ができるはずだ。 


 2006年1月、オフのタイ合宿から、とにかくがむしゃらに、一日中もがき続けた。きっとこの苦しみで世界の壁は越えられる。レースの強度でオフから苦しむほどに、当時32歳の老体に奇跡が起こると信じた。だが二兎追うもの一兎も得ず。器を広げる時期に、質も求めたのがあだとなった。
 いよいよシーズンイン、初レース、ツ1月ツールドシアム(UCI2-2)、第1ステージこそ、兄弟で独走優勝したが、僕の心も体もすでにボロボロになっていた。そして、春先からの欧州遠征序盤で体はさらに蝕まれ、5月、大切なツアーオブジャパン、痛恨のリタイヤを期したのだ。時期に応じ、運動強度の設定を段階的に高めるトレーニング原則の重要性を改めて痛感した。
 わがエキップアサダにとって独立型のチーム運営として、新たな挑戦の年だった。しかしシーズン序盤からエースの兄が鎖骨骨折という苦しい中、プロ一年目の新城幸也選手が1人でチームを引っ張っていた。だからエースの一人となりつつあった僕の戦線離脱は、個人の競技人生のみならず、チームの方向性に影響する大きな過ちを犯したと悟った。

【カウンセラーは寸胴鍋】
 浅田監督の勧めは、1か月間の完全休養だった。意気消沈した僕はおとなしく心から従った。せめて、チームと行動を共にし渡仏した。チームメイトが練習に出かけると、ポ○ノ雑誌を一通り眺めるのに飽きると、合宿所の静けさで一人、気が狂いそうだった。一日3回、15名分の食事を作ると時が忘れられた。
 にんにくを100かけら、弱火で30分、オリーブオイルで炒め下味を出す。火加減をあやまり、にんにくを無残に真っ黒な炭とするたびに、自身の身体と協調できない自分が重なる。丁寧に脂肪をそいだ1Kの肉と、玉ねぎを15個、季節の野菜がしんなりと仕上がったころ、やっと200キロ走った選手が戻ってくる。ことごとく自信喪失した僕は、コック長タカシ(宮沢祟史氏)に、仕上げの味付けをしてもらった。醤油も味噌もみりんも適当にドブドブ入れる天才コック長の大雑把さに見とれた。
 選手はワイワイ食べてくれ.「うまいうまい」と、コック長を称賛する。僕はそれから意地悪をすることにした。味噌汁には貧血防止として大量のプルーンを入れたのだ。種を噛んだメンバーが慌てて吐き出した。
 料理にはドラマがある。自信を取り戻すための最高のメンタルトレーニングだった。どっしり構える寸胴鍋はカウンセラーだ。一日対峙すると、後悔だらけの心を溶かし、希望にしてくれた。周到な準備と閃きで、心が元気になった。そして同じ釜の飯を食えば、選手の旺盛な食欲を横目に、小さな器だけで僕は満足感を得ることができた。

 週末はフランス全土で、レースに帯同させてもらった。ほぼ生まれて初めて、チームカーから選手という職業を客観視した。そしてある意味、選手以上の苦労を厭わないスタッフの情熱に感動した。
 浅田監督から休養中は、消化に悪いからパンをやめるようにアドバイスされていた。しかし移動中やホテルのレストランには、大抵コメはなく、主食は香ばしいフランスパンか、油ぎった芋か、気の抜けたパスタだった。空腹のあまり、ひとかけらのパンに恐る恐る伸ばした手に、浅田監督の視線が突き刺ささった。僕は慌てて手をひっこめた。

 6月初旬、1か月の料理番長生活で、72Kあった体重は66Kに落ち、生命力が戻った。そして練習再開から3日目の僕に、レース当日、浅田さんからレースへの誘いが来た。「康司、メンバーが風邪を引いてしまった。お前出るか。」僕はボトルの一本でも運ぼうと、二つ返事でうなずいた。

【練習3日でブックル・ドゥ・ラ・マイエンヌへ】
 ブックル・ドゥ・ラ・マイエンヌ(マイエンヌ県の大周回レース)という4日間のステージレースだ。僕が生まれたころから開催されている伝統あるレースである。当時はUCI第2カテゴリーだったが、今はUCI第1カテゴリーに昇格し、さらにレベルは上がっている。しかし当時から、十分に格上のチームがひしめいていた。とくに今日のツールの常連チーム、ブロターニュ・セッシュとなるブロターニュ・ジョンフロック、そしてその年ツールでステージ2勝したアグリチュベル(同時開催のルート・ドゥ・スッドにツールの主力メンバーを送っていた)もいた。メンバーはキャプテン福島晋一選手、宮沢祟史選手、清水都貴選手、佐野淳哉選手、新城幸也選手、康司の6名だった。

 【第1ステージ 息を取り戻した個人タイムトライアル】
 スタートラインに着けたことがうれしかった。
 久しぶりの高い運動強度を想定し、入念に1時間半アップした。起伏のあるコースで、6キロやせた体で、序盤の登りは軽めのギアをしっかり回し、最後の平坦は重いギアをぐんぐん回せた。浅田監督から、最後の平坦はチームメンバー中、一番スピードに乗せられていたと褒めてもらった。確か結果は30位前後で、チームでは幸也に次ぐ2番目の成績だった。休養中、僕は来シーズンから、チームスタッフ契約をすることに内心憧れと諦めが入り混ざっていたが、なんだかほっとした。僕は昔からぶっつけ本番が得意なのだ。練習もしていないのにまあまあ上位に食い込めて、慢性疲労の成績不振から脱することができたのが、不思議だった。

 




 



 



| 福島康司/こ〜ぢ | 想い出のレース | 06:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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