Koji FUKUSHIMA

人生はステージレース。
ツールを目指したい少年から、人生の大先輩まで。
こ〜ぢとロードバイクで遊ぼう! 
080ー5024ー5400
cozzy@rondo.ocn.ne.jp
<< ブックル ドゥ ラ マイエンヌ 【第3ステージ 運命のいたずら】 | main | 9月レクチャーのご案内 >>
最終ステージ 兄ちゃんと幸也に勝たせてもらったレース

  いよいよ最終第4ステージ、決戦の朝を迎えた。
 初めて賞のジャージを着た時は、緊張のあまり、一人の部屋でもロボット歩きになり、食事ものどを通らなかったし、眠れなかった。だがリーダージャージにも慣れてきた。


  5日間泊まっていた質素で美しいホテルの元気なおばさんミミーに、大きな花束をプレゼントした。日に日に消耗していく身体に、ミミーのご飯は即効薬だった。チームメイト、浅田監督、スタッフと腹いっぱいご飯とパスタをモリモリ食べることが幸せだった。

 第1ステージのタイムトライアルも、上出来だったから、ライバル選手に大差つかなかった。そして、第2ステージと第3ステージの両日で、メイン集団を数分引き離し、先頭集団で逃げ切った選手は、僕一人だった。その結果、僕はリーダーとして、最終日のスタートラインに立ったのだ。たしか、2位のダビッドとのタイム差は30秒ほど。
 最終ステージのチームの作戦は、僕の総合優勝だ。そのためには、総合上位につけるライバルのアタックを封じ込み、ダビッドに対し、30秒以内で僕がゴールすれば、僕は総合優勝を勝ち取ることができる。
 
 スタート直後の峠から、各チームは容赦なくアタックを仕掛ける。兄と幸也が先頭に立ち、速いけどスムーズに流れる一定ペースを刻む。二人に登坂力も著しく劣る僕も、ライバルチームに余裕なそぶりを演技できた。そして総合逆転を狙う最も危険な10名の逃げを、メイングループを率いて潰した。

 それから平坦区間で、2名の総合成績が遅れた選手を逃がすことに成功した。彼らはもし、逃げ切られたとしても、僕の総合成績には影響はない。しかも、アグリチュベルとブロターニュ・ジョンフロックのアシストの選手だった。その最強の2チームも、そのチームメイトの逃げ切り、ステージ優勝を期待し容認した。

 それからは、他の選手のアタックを警戒しながら、先頭の2名とメイン集団の徐々に一定のペースで5分差まで広げた。その間、何度か単発のアタックはかかったが、ことごとく逃げをわがチームで潰しだ。前の人数が増えるほど、わがチームが危険な逃げを捕まえるのが、厄介になる。我らチームが先頭を引き続けた。古城が点在するロワール地方・マイエンヌ県の牧歌的な風景の中、タンポポの綿毛が飛んでいる。いつもはペースが落ち着けば、にぎやかになる集団が、妙な静寂に包まれている。その嵐の前の静けさが怖かった。

 最後の峠の前に、浅田監督から突如無線が入った。「たった今、ライバルチームたちの無線を傍受してしまった。最後の峠で、全てのチームが総攻撃にでる。」僕の真っ赤な顔が蒼白になり、いっそ黙っていてほしいとすら思った。だがリーダーチームは攻撃されて当然だ。だが幸也が明るく「楽しみですね。」と返した。僕はその言葉に、目が覚めた。もう過剰反応する心臓の鼓動や膝がガクガクするのはが、緊張からか断食明けの練習不足だからか、分からなかった。

 最後の登り、兄と幸也のペースは絶妙だった。どの選手も怖気づき、波状アタック攻撃できないまま、頂上が近づいてきた。しかも僕もちぎれない限界のペース配分だった。このまま、誰もアタックしないで頂上を越えてくれと、天に願った。
 登りでは隊列の並びに関わらず皆きつい。平坦になれば隊列の並びで、風上で遮るメンバーと風下で休むメンバーに役割分担できる。登りは個人の力、平坦はチームの力で決まる。

 その瞬間、ついに満を持して、ダビッドが矢のようなアタックで飛び出していった。僕は一瞬ひるんだ。さすがの兄と幸也も更なるペースアップは限界だった。その瞬間に兄と幸也が僕を振り向き、僕を「カッ」睨んだ。
 僕は「ムリッ」の言葉を飲み込んで、深海に素潜りする気持ちで、いよいよ重たい腰を上げた。第1ステージのタイムトライアル以来、まったく風を受けずに走ってきた。しかし、ここは自力で風を切り、彼に追いつくことがリーダーの仕事である。慌てずに一定ペースを心がけながら、ダビッドを単独で追いかけた。頂上を越え、風の強い麦畑の農道区間に入った。3車身の差がじわじわ広がる。彼に追いつけば、僕のシナリオ通りとなる。彼は僕を引き連れてたとえ逃げきっても、ゴールでは同タイムで、総合逆転はできないから、追走を諦める。

 彼の方が一枚重いギアを力強く回せているのだろう。僕もギアを足さなければ、離されてしまう。だがもう腹の大黒柱にひびが入って今にも崩れそうだ。彼の独走力はフランスでも定評があり、ゴールまでたとえ50キロあっても、視界から消えた後方集団から逃げ切る力を持っていた。そして、ブロターニュ・ジョンフロックは紛れもなく、今大会出場チーム中最も総合力を持ち、ダビッドが逃げ切るために、チーム全員で全てのアタックを封じ込めるだろう。

 僕はじわりじわりと離れだした彼の背中に追いすがりながら、ここですべてが終わると観念した。僕は、昨日兄のステージ優勝を諦め、リーダーとなった。そして、今日はチームが一丸となり、僕の為にメイン集団を150キロにわたり、引き続けてくれた。全てを水の泡にするのか。

 その瞬間、ダビッドが振り向いた。僕は胸を張り満面の笑みで、手の甲を振り、顎をしゃくり、「勝手にどんどん行け。」と、放した犬の飼い主のように、余裕綽綽でジェスチャーした。するとダビッドがピッタリとペダリングを止めた。信じられなかった。彼もきつかったのだ。リーダージャージは得体のしれない力を発揮する魔力を持つとは噂ではなかった。ダビッドが逃げ続ければ、先頭で逃げている彼のチームメイトの逃げを潰すことにもなる。
 

 肩を撫で下ろした僕は、彼のたくましい身体に見とれながら、集団が追いついてくるのを待った。どんな時も明るくハーモニカとともに演技を磨かせてくれた人生劇場に感謝した。これで、峠区間まで完璧にお膳立てしてくれたチームメイトに顔向けができる。

 しかし、峠は終えたものの、まだゴールには50キロ以上の距離があった。集団が追いついてきた後、他のチームメイトは仕事を終え、幸也と兄しかいなかった。いよいよ先行する2人の逃げを射程範囲に縮めるため、集団を引く幸也のすぐ後ろで、ついに僕はガス欠でエンスト直前になった。1か月の食事療法で、体は絞れたものの、筋肉は落ち、エンジンオイルもガソリンタンクもスッカラカンだ。そこに最後の峠で思いっきりエンジンをふかしたものだから、全てのエネルギーを使い切ってしまったのだ。

 その結果、わずかなスロープほどの登りごとに、僕はことごとく幸也からちぎれ、鬼の形相で声にならない喘ぎ声で、幾度となく彼の名を叫んだ。ついにメイン集団全員が4日目にして、最高秘密がばれた。実はリーダーは、強力なアシストに擁護されただけで、実力は見かけ倒しだった、、、ということが。

 そんな窮地に追い打ちをかけるかのごとく、僕は痛恨のパンクをしてしまった。パンクも実力の内である。石を踏んでも、腹に力が入っていたら、パンクはしない。万事休す。僕は一メートルでも前でホイールを交換し、集団に復帰しようとリムを壊す覚悟でガタごと進んだ。離れていく集団を見て驚いた。ライバルチームたちが道路に広がり、手を上げてペースダウンし、アタックしないようジェスチャーし、瀕死のリーダーの集団復帰を待ってくれたのだ。敵に塩を送る。そう、ロードレースは紳士的で人間臭いスポーツだ。


 第1ステージの卑怯な手段を使った僕は、信じられなかった。遠くアジアからフランスに憧れてきた我らに、敬意をもって認めてくれている。そして僕はせっかくの好意に甘え、路肩に止まり、西勉メカにホイールをゆっくり変えてもらっている間、思い残さず用を足し、ボトルの水と梅丹の補給食とジャムパンで、あふれるほどエネルギーを満タンにした。そして息を吹き返し、深呼吸しながら、なるべくゆったりと集団に戻った。

 しかしそこから、マイエンヌ県の都、ラヴァルの石畳を含む一周5キロを4周する周回コースが用意されていた。リーダーの窮地が分かると、ことごとく波状攻撃が始まった。幸也が僕を番手につけ、集団先頭を引き続ける。僕の耳元にフランスのエリートアマチュアの長年闘ってきた同郷チームの選手がささやいてくる。「康司、3000ユーロでどうだ。先頭を一緒に引いてやるぞ。」僕は浅田さんに無線で聞く。「浅田さん、四面楚歌の僕たちに吉報です。3000ユーロで味方に引き入れますか。」浅田監督は「断れ!」と叫ぶ。僕がしぶしぶ断ると、値を下げてきた。「浅田監督、激安友情価格1000ユーロまでなりました。」浅田監督は「断れ!!」僕は彼に謝まり、「武士は食わねど高楊枝」とはフランス語でなんというのかと思案しているうちに、彼は「じゃ、幸運を【bonne chance】ボンシャンス」そう残して、アタックしていった。

 それまで集団で大人しく温存してきたフレッシュなプロ選手の10名、20名のアタックがかかる。その後ろにリーダーの僕が跳びつけば、幸也は苦労しなくていいものを、僕には一定ペースで走る力しか残っていない。逃グループが何度も視界から消えそうになる。そのたびに180Km近くメイン先頭を引いてきたプロ一年目の幸也が、ことごとく逃げを捕まえる。しかも、僕がちぎれないギリギリの一定ペースを刻んでくれる。長い髪から汗のしずくがぽたぽた飛んでくる。僕はその後ろ姿に、「ベルナール、幸也は本当に強くなったよ。」そう心で叫んだ。年老いたベルナールは車いす生活になっても、最後の弟子、幸也をレースに連れていこうと挑戦した。僕はコーナーの度に、幸也からちぎれるくらいなら、ヘロヘロで転んでもいいと思いながら、無心に幸也にくらいついていった。
 

 フランス人の観客はある意味、欧米人の活躍に飽きている。純日本人チームが正々堂々と闘う姿に、割れるような歓声が、ガンガン頭に響いてくる。彼らはレースを知り尽くしているから、一瞬で通り過ぎる隊列の並びで、僕たちが自分たちの力だけで闘っていることを理解している。そして総合逆転を目論むライバルのあらゆる逃げを封じ込んだ幸也の粘りの走りと、なぜかイタリア籍のチームの見知らぬ一選手が僕を最後の1周助けてくれた。僕はメイン集団で命からがらゴールに辿り着いた。

 欧州のメディアは、チームバン・エキップアサダが自力でリーダーを守りきったことを、驚きとともに大きく称えた。浅田顕監督もキャプテンの兄も、金銭交渉を一切しない実力主義を貫き通した。そのおかげで、窮地からの奇跡の勝利が、今でも僕の血となり肉となっている。

 僕たち兄弟のツールは夢に終わり、僕は2008年をもって、現役を退いた。その後ダビッドや幸也、ともに闘ったライバルチームが、憧れのツールの舞台で活躍する姿に胸が熱くなる。だけど不思議とうらやましいと感じなかった。僕はやれるだけのことはやった。ただ彼らとともに闘えた日々にただ感謝した。


 なぜ、こんな風に、冒険に満ちた現役時代の1ページを書かせてもらったか。

 それは、ベルナールグランパ自転車学校の校長として、サイクリストに、あなただけのロードバイク人生を駆け抜けてほしい。僕が培った得難い体験がそのバイブルだから。ロードレースの騎士道は、闘いを越えたところにある「絆」だと思う。

 言うまでもなく、幸也(新城幸也選手)と兄ちゃん(福島晋一氏)、チームバン・エキップアサダがめっぽう強く、ブックル・ドゥ・ラ・マイエンヌも総合優勝させてもらった。

 僕はフランスのアマチュア初級カテゴリーの優勝以来、フランスで勝てたのは5年ぶりだった。そして競技人生でフランスでは唯一のプロの勝利となった。


 ツールはフランス自転車競技連盟が統一カテゴリーで管轄する年間2万の公式戦の一つに過ぎない。子供自転車学校から、僕たちが駆け上った細分化されたアマチュアカテゴリーのピラミッドの頂点であるツールはもちろん憧れの存在だ。

 そして、総合優勝から9年目の今年、この思い出のブックル・ドゥ・ラ・マイエンヌが、幸也が落車の怪我以来の復帰戦として、ツールドフランスのチーム内選考がかかっていたレースの一つ、幸也の骨折からの復帰レースが、その思い出のレースだったことに僕は運命を感じた。そして怪我の苦しみを越えて、ツールのメンバーに選ばれることを信じている。
 
 ツール前に執筆。
 ※レース展開上、レース未経験者の方には分かりにくい部分の説明は、今後もこのブログの中で、書いていきます。
 長い文章読んでいただき、ありがとうございました。


 

| 福島康司/こ〜ぢ | 想い出のレース | 06:01 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
う〜む、これはべらぼうにおもしろい!行間からフランスの風の匂いや選手の息づかいを感じます!読んでいてドキドキします!
それにしてもライバルチームの総攻撃に「楽しみですね」と言うユキヤ選手、どんだけ〜!
| 萩原水音 | 2015/08/08 9:52 AM |









http://www.cozzy.biz/trackback/2032
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< March 2017 >>
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE