ベルナール爺さんとの夢 (こ〜ぢがシクロワイヤードに載りました!!!)
僕ら3人、ことに手のかかった僕を支えてくれた北仏ノルマンディーと南仏トゥールーズの人々に挨拶した。
正直僕は、フランスの人々や今幸也や兄に会うのが恥ずかしかった。
ベルナールの部屋を恐る恐る覗き込むと、彼は枯れた花のようにうなだれて、新聞を読んでいた。
僕は彼の様子を見ながら、ずっと手紙を書かなかったことを反省した。
そして僕にやっと気がついた彼は力なく、「お〜 こ〜ぢ」と叫んだ。
だが、それから突如として雨を得た真夏のヒマワリのように、ぐんぐん姿勢がよくなり、声にも張りが出てきた。
ほとんど聞き取ることができずに筆談だったが、最後は僕のスペルの間違いを、いちいち直すほどの余力だった。
僕は彼と過ごしたの3時間あっという間だった。
現役時代は毎年、シーズンオフで帰国するときには、ベルナールに会いに自転車で行った帰りに、懐かしい丘陵地帯の麦畑の景色が歪んだ。
だけど別れ際は、さみしくもなかった。
それから夜通し走って1000km移動し、ピレネーの山村で、必死に走る幸也を見た。
さらに、500km走って、ボルドーの幸也の活躍したスプリントゴールにわく、人垣を見た。
さらに、800km走って、ブロターニュの兄の走りを見に行った。
予告通り必死に逃げる姿に、僕は声がかれるまで応援した。
それから600km走って、シャンゼリゼの幸也がいる集団を見守る人垣を見に行った。
ちょっと無理がたたって、軽く腰を痛めてしまった。
びっこを引いて歩くは恥ずかしく、見に行くことを躊躇した。
だけど、ホテルでツールのテレビを見ていると、なりふり構わず、幸也に会いたくなった。
僕は選手を見守るシャンゼリゼの人垣を見て、選手は大変だと思った。
ゴール後、幸也は日本人の応援団の中に、手を振る僕がいるのを見つけた。
疲れきっているだろうに、彼は警官がいるのに、高い柵をすごい力で僕をひっぱって、乗り越えさせた。
僕は腰が立たなくなるかと不安だった。
周りにいた日本人の方も、僕の体を引き上げてくれた。
いつもルールを破るのは僕の専売特許だったが、
ツールを走り切ったが彼が扇動しての行動に、フランスの警官も、見て見ぬふりをしてくれた。
僕はシャンゼリゼ通りで、幸也と抱き合った。
彼のたくましくなった体を抱きしめて、
ベルナールがここにいたら、喜んだのにと思った。
http://www.cyclowired.jp/?q=node/39149
そして引退後、たくさんの方が、ツールなんて夢に描くだけで、ただがむしゃらだった僕のことを支えていてくれることに、今
更ながら感謝した。
日本に帰ってくると、お腹のさらに大きくなった妻ともう歩きそうな輪と再会し、また新たな気持ちで、生きていこうと決意した。
独立をした以上、自分が胸を張って生きていく勇気を、皆さんから頂いた。
そして渡仏当初とは全く違った夢を抱くようになった。
最初は、ベルナール爺さん(100歳ではなくて、98歳でした)にお別れのつもりだったけど、
僕はフランスサイクリング+レース観戦ツアーを組んで、日本人のお客様をフランスにお連れして、ベルナールを紹介したいと思った。
そのためには自分の生活を、まず安定させられるように、しっかりと一歩一歩、通常のイベントを充実させなければ。
(ホテル・友人宅)3泊+(車中・機内)5泊 計7日
今回一緒にタフな旅をしてくれて、経験豊かさからの人生相談に乗ってくれた
お医者様のM先生、そして焼肉れすとらん大幸のママ様、ありがとう。
皆さま、ありがとう。
- 2010.07.28 Wednesday
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- 08:23
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ベルナール爺さんも、幸也君も嬉しかっただろうね。
読んでいて涙が溢れてきました。
行きたいねこ〜ぢと行くフランス!
ついでにタイ合宿もやろう!